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ミャンマーで一番の聖なる地。たくさんの巡礼者が山の上にある金色の岩を目指す。

入り口からは裸足になってありがたい大地を踏みしめる。

落ちそうで落ちない。確かに、この岩は人々を夢中にさせる。

ブッダの髪の毛で絶妙なバランスをとっている。人間の髪だと煩悩だらけで一瞬で落ちるかも。

大前提で山頂は気持ちいい。聖地じゃなくても心を癒す場所。

山の天気は変わりやすい。おかげで見れるダイナミックな舞い。

きっと小さな頃から祈り続けてきた。慣れた姿からは美しさがにじみ出る。

男性しか岩に近づけないし触れない。小さな金箔に2人分の願いをのせて岩に貼る。

お祈りも大事だけど、お布施も大事。

岩以外に何もない。だけど、あっという間に5時間が過ぎていく。

次々と新しい景色が現れる。そりゃ、飽きないな。

欲望をなくすことが修行なら、欲望を残すこともまた修行。お坊さんが記念撮影で思い出作り。

空はゆっくり暗くなり、金色はゆっくり輝きを増す。でも心が満たされるのはあっという間だけど。

低い声の祈りは風に乗り、辺りはオレンジの霧に包まれる。どうやら別の岸にやってきた。

ここにやって来れた奇跡、雨季なのに夕日が見れた奇跡。人生は奇跡の連続でできている。

1日の終わり。いつもはもったいない位にあっけない。

目の前の世界はにじんで薄くなる。そろそろ帰りなさいってことか。

目覚めたばかりの早朝、昨日の残り香を優しく含んでいる。

月も岩も、太陽にバトンタッチ。

人々の幸せを祈り人々が幸せになれば、自分の幸せになって戻ってくる。

厚い雲に覆われても、雲の上にはいつも太陽。

ただの岩に意味を持たせるのは人間。意味を持った岩に祈るのも人間。人間以外にはただの岩だよな。

幸せを感じるのは人間、苦しみを感じるのも人間。どっちか決めているのはただの心だよな。

寺院の中にずっとこもるより、庶民にとってはずっと教えが近くなる。毎朝の托鉢っていいな。

山の町で遊ぶサッカーは、ボールの追いかけごっこもしないとね。

シンプルな町だから売っている物もシンプル。

ふもとから山頂への交通手段。たった唯一の恐怖の乗り合いトラック。

荷台に足を小さくたたんで、ぎゅうぎゅうになって乗る。

くねくねの坂道を勢いよく登ったり下ったり。その辺のジェットコースターよりおもしろい。
手すりがないから端に座ると怖い。1番前の列の人だけつかまれる。
ジェットコースター嫌いだとつらい道。子供は吐いているし。
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